SELF LINER NOTES
『20/20』の制作が終わった時、僕はいつもの通りからっぽになっていました。そして、はじめての全国のプロモーションに混乱し、はじめての全国ツアーに動揺したのです。からになったそれに次が注がれたのは2018年の年明けでした。映画、『そらのレストラン』から楽曲のオファーがあったことから今作の制作は始まります。そこで“君がいるなら”と“花束にかえて”ができました。特に“花束にかえて”はなんてスカートらしい曲なんでしょうか!言葉を発していないときにこそ、情景が宿るような曲になったのが本当にうれしかった。「次のアルバムはこの曲が一番暗く、儚く聴こえるように作りたい」と直感的に思ったのですが、結果的にそれは最後まで貫かれることになりました(と思いたい)。
その後も『遠い春』の制作、tofubeatsくんとタッグを組んでLINE MUSIC配信された“高田馬場で乗り換えて”の制作などを経て、曲は少しずつできているにも関わらず、過ぎていく2018年の背中を見送りながら、僕の目の前をニュー・アルバムの幻影が通り過ぎていきます。「もっと開けたポップ・アルバムになるべきだ、いや、もっと口数の少ないアルバムに……ソフト・ロックのアプローチで……」独り言ばかりに花が咲き、次作の全容が自分でも掴めませんでした。
でも、ひとつ決めていたことがありました。NegiccoのKaedeさんに提供した“あの娘が暮らす街(まであとどれくらい?)”をセルフカバーする、ということです。Kaedeさんのヴァージョンは『20/20』よりもひと月先にリリースされているのですが、『20/20』のレコーディングがほとんど終わったあとに制作された(!)曲でした。僕はこの曲がとても好きで、ライヴでもときどき演奏してきたこともあり、今回、収録に至りました。その上、トップバッターです。「逃げ出したい」とか言ったりする暗い曲ですが「あの娘が暮らす街まであとどれくらい?」のリフレインは希望(具体的に言うとビリー・ワイルダー監督『アパートの鍵貸します』の終盤で例のチャイニーズ・レストランでシャーリー・マクレーンが見せるあの表情!)です。「『20/20』の次」をこの曲で始める、というのはとても美しいことのような気がしたのです。
そしてあっという間に2019年になり、穴だらけの埋まらないクロスワードを見るような気持ちで来るべきニュー・アルバムについて足りない要素はなにか、と足元を照らしたとき、既に発表していたシングル曲の2曲の演奏時間がどちらも4分を超えていたのが気になりました。そこで「3分のポップソング復権」を目指した結果、短い曲の中でメロディがあちこちに散らばる“四月のばらの歌のこと”、今までなかなか出せず、諦めかけていた「ゆれ感」が見事に憑依した“トワイライト”、買ったばかりのアコギが気持ちよく鳴る曲にしたい、と“ずっとつづく”が完成しました。どこかで「このアルバムは完成しないんじゃないか」と思っていたのですが一気にこの3曲ができあがったときに心配そうなスタッフをよそに「いいアルバムになる!」と確信することができました。
ありふれた名前を冠する我々はありふれたバンド編成でありふれたポップ・ミュージックを演奏しています。それでもなぜかいびつな佇まいの我々のあたらしいレコードには『トワイライト』というありふれた名前がつきました。“トワイライト”では、ある夕方の一瞬を切り取り歌にしました。それは写真や映像ではない、漫画のようなものです。その黄昏は僕が「見た」/「見たかった」/「見たかもしれない」景色なのであるのと同時に、あなたが「見た」/「見たかった」/「見たかもしれない」景色であってほしい。